2019.12.31 Adeus!! Praça11 ~Muito Obrigada Praça11 part.2~
2019. 11/30
セッションや演奏、長きに渡りお世話になったPraça11(プラッサオンゼ)が、38年の歴史に幕を下ろしました。
私とプラッサの出逢いは10年前、Sala Na Casaというボサノヴァユニットでの出演。
ドラムの黒田さんが推薦してくれて、プラッサでオーディションを受けたのを覚えてます。
審査するのは勿論、オーナーのクラウヂア。てか、クラウヂアたった一人。
ものすごい緊張して演奏して、途中歌詞がすっ飛んじゃいました・・・(笑)。
『ポルトガル語の発音とかまだまだだけど、黒田の紹介だし、いい感じじゃない?やってみなさい!』とお言葉を頂いた時は、マンガのように膝がヘナヘナ〜〜となりそうでした。
その後、ひょんなことから(前回のブログ見てね!)プラッサのセッション女将を務めさせていただき・・・
出逢いから10年間、この階段を下る事になります。
いつも、この階段を降る時は緊張と興奮でドキドキしました。はい、いつも、です。慣れる事はありませんでした。
ブラジル音楽を演奏したい!と、歌やギターを始めた頃、音楽雑誌のプラッサのスケジュール蘭に並ぶ錚々たるメンバーを見て、『いつかこのステージで演奏したい』と夢見ていました。
プラッサオンゼは私の夢であり、憧れでした。
それも10年間、変わることがありませんでした。
壁にあるのは歴史を作ってきた先人のサイン。
これを背負って演奏する事のプレッシャー、誇らしさ、嬉しさ・・
その時はどうだっただろ?
無我夢中で演奏してた気がします。
プラッサオンゼという場所は、“夢や憧れ”と同時に、“居場所”でした。
オーナーのクラウヂアは、何かにつけ『かよこちゃん、いいミュージシャンが出るからいらっしゃいよ!』とか『かよこちゃん、元気にしてんの?たまには顔出しなさいよ!!』と、まだプラッサの歴史上では新参者の私に声をかけてくれました。
音楽という道をどう進むのか、どう進んでいるのか迷子になる時にでも、『うん、今日はいい感じだったわよ!』と声をかけてくれたり。
勿論、厳しいお言葉も多々いただきましたが(笑)、いつも愛情に裏打ちされた、彼女の言葉をくれました。
音楽への愛、人への愛、プラッサオンゼという場所を守っている誇り。
そういうものを、その言葉にいつも感じました。
どれだけ、彼女の言葉に勇気や背中を押してもらったか計り知れません。
そういう言葉をいただいて、いつも幸せな気持ちと共に、背筋が伸びる思いでこの階段を上がりました。
次回はまた頑張ろう!という希望と共に。
あの場所がもう無いなんて、とても寂しいけど。
あそこに行って扉を開けたら、クラウヂアがいつもの毒舌で『アンタ何やってたのよ〜!生きてたの!?(笑)』なんて言ってくれそうな気がするけど。
何よりも、あの場所を38年守り続けてくれた事に、ただただ感謝です。
“私たちの人生に流れていたのはプラッサオンゼだった”
私の人生の中にもプラッサが流れています。
この場所に関わった、全ての人の心の中にも。
長い長い時間、音楽と人の歴史が交わる貴重な場所を守ってくれた、クラウヂア、花梨さん、スタッフの皆さん、お疲れさまでした!
そんな皆さんと、ただ愛の場所だったPraça11、本当に本当にありがとう!!ありがとう!!!