2017.10.26 “Felicidade/Tristeza” 歓びと哀しみ
寒い雨の日、池袋のP’s Barで、ピアニスト永見行崇さんとのデュオ演奏でした。
毎回、彼とのライブにはテーマを決めるのですが、今回は“Felicidade/Tristeza(歓び/悲しみ)”。
秋の演奏ということで、月と星とか、物哀しさ、とか色々考えたのですが、この“秋”という
季節の狭間を表現したいなあ、と思い、このテーマにしました。
私にとって秋とは不思議な季節で、昼は太陽の柔らかな温かさ、風の清涼さに目を細め、
夜にはその風の冷たさや、冷たい星の光に物寂しくなる、そんな揺らぎを感じる時なのです。
ライブ前半はFelicidade(歓び)で、こちらの選曲にとても時間がかかりました。
幸せ、というのは本当にその時々で違っていて、何も感じてなかった曲がある時に「!!」と
涙が出る程感動してしまうこともあったりして。
演奏した曲たちは、幸福感をくれる曲です。
でもそれはいつもいかなる時もでは無く、時に“花と微笑みと愛(Meditaçãoの歌詞)”に優しさをもらったり、“明日の事は誰にも分からない。どんな出逢いがあるか、神のみぞ知るの(O Amanhã)”に勇気をもらったり・・。その歓びを感じる時には、必ず後ろに哀しさや切なさの裏打ちがあるのです。
そういう意味では、私には100%フェリシダーヂ、というのは無いのかもしれません。
あ、“O Pato(あひる)”は結構からりとした楽しさがありますが。
後半のTristeza(哀しみ)サイドは、孤独や切なさを感じる曲たち。
久しぶりにジョビンの“Estrada Branca(白い道)”を演奏しました。
愛する人の住む街へ、優しさも無く孤独に死にたいような気持ちで月夜の道を歩くひと。
「あの時母の言う事を聞いていれば、こんな思いはしなかったのに」と歌う、カイーミの“Saudade da Bahia(バイーアの郷愁)”、などなどなど・・・
幸せサイドとは真逆なのですが、こちらには徹底的な絶望感は無く、哀しみや切なさや孤独の裏、
どこかに愛情や希望、野望などの輝く要素が織り交ざっているのです。
永見さんはこの日、ソロで“Ugly Beauty”というセロニアス・モンクの曲を弾いてくれました。
そして、正にこれだなーと膝を打ちたくなりました。
醜さの中の美しさ、哀しみの中の歓び、歓びの中の痛み、幸福な孤独・・・
何かの輪郭が美しく立体的に見えるとしたら、そこには必ず光と影が存在しなくてはならなくて。
私がブラジル音楽に惹かれる理由、それはやはり、この素晴らしい矛盾の融合なのかな、と。
そして、その融合の集大成こそがサウダーヂで、それこそが人の心を何とも言えず、ぎゅうっと
締め付けるような何かなのかな。そんな事を想いながらの演奏でした。